マダツボミの観察日誌

ギャルゲーマーによる、ギャルゲーやラノベの感想、備忘録とか

【双六が魅せる縁の煌めき】『もののあはれは彩の頃。』感想・考察

 今日を生きて、明日を目指せる――ああ、なんてラッキーなことでしょうね。ありえないくらい……幸運なこと

 

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 安定安心の企画シナリオ冬茜トム氏の贈る、和風双六ADGもののあはれは彩の頃。』(通称さいころ)プレイしてきました。秋を舞台にした作品なので少し時期外れではありますが、美しい秋景色を背景に進んでいく物語は趣深く、雰囲気の良いゲームでしたね。

 オールクリアしての感想ですが、少し設定上の粗というか取り残しはあったものの、『アメグレ』『さくレット』と同様に今作も現実と異なる常識を持った異世界に生きる人間たちの考え方の描写が優れており、物語に引き込まれましたね。今回は双六ということで、次2作と比べると特異さが増していて少し強引だなと感じる所もありましたが、それすらも伏線だったという驚きの展開・・・おみそれいりました。この世界の見え方が一変する瞬間がたまらなく好きなんですよね。それが好きだから冬茜トム氏の作品を遊んでいるところもあります。

 また今作は『人は一人では生きられない』というテーマが、縁が重要となる双六の世界観と実にマッチしていて、非常に説得力がありました。当たり前のテーマですが、普通の世界じゃなく双六の世界だからこそ特に美しく見えましたね。昔『ATRI』の感想で同じようなことを言いましたが、今作の方がより調和がとれてますね。

 更に言えば今作は、常に読み手に疑問を与え、徐々に世界の真実を明かしていくことで、飽きさせずに最後まで読ませることに成功させています。中ダレがないのはギャルゲー界では偉いですね。反面、最大瞬間風速は落ちているのが欠点と言えば欠点なのかもしれません。あと悪い点を挙げるなら、ヒロインとの絆を深めていくシーンはあくまで過去回想に頼っており、ギャルゲーとしてこのシナリオはどうなのかという疑問はあります。

 今回はそんな『さいころ』の各ルート雑感を書いていきますので、ここからはネタバレ注意です。

 

 

みさきルート

 正論では他人を救うことはない、ただ正論は自分を救うことができる。

 みさきルートはこれに尽きると思います。人から言われる正論ほどムカつくものはないし、大抵の場合正論を言った所で問題は解決しませんし、逆に意固地になって更に状況が悪くなる場合すらあります。じゃあなんで人は正論を吐くのか?それは正論は自分が変わりたい、こうありたいと思った時には折れない旗印になるからなのです。正論を信じて自分は変わってきたから、正論を吐くことで相手も変われると信じているのだと私は思います。同じ言葉なのに自分から出るか、他人から出るのかによって捉え方が変わってしまうのはとても面白いですね。

 作中のみさきは理想の自分を保つために、どんなことからも逃げてはいけないという正論を自らに振りかざし、あり得ないメンタルを見せつけます。どんな状況でも笑顔を失わず、真っすぐ生きるキャラを私は大好きなんですよね。更に言うと、そんな子が辛い現実や、自分の主張と反する存在に出会ってしまった時に、それでも真っすぐ生きようとする、そういう心の在り方を描いた作品が大好きなんです。一番最近だとTOBのエレノアちゃんですね。

 本作のみさきも双六から生還しても自分は病気で死ぬ確率が高いという非常に厳しい状況に置かれ、一度は心が折れてしまいます。それでも仲間たちが信じる自分像――どんな時でも逃げないことに支えられ、再度立ち上がるという所が好きすぎる。カミナの兄貴的に言えば、『俺が信じるお前を信じろ』って奴ですね、熱い。

けれど――鬼無水みさきという人間は、ただ個人だけで成り立っていたものなのか?

 これは、本作のテーマである『人は一人で生きるに在らず』とも合致しているんですよね。人と人との縁が個人の人格さえも形成するという。自分の知っている自分自身と他人が考えている自分像がずれていることは、良くも悪くもあると思います。ただ他人の期待が、自分自身を支えるということもまたあるのではないでしょうか。優秀だと思われているから自信をもって振る舞える、面白い人だと思われているから人を笑わせようと努力するなど、例を挙げれば枚挙にいとまがありません。みさきにしても、本来の彼女はもっと弱いのかもしれません。時には逃げたくなるときもある。ただ周りの期待がそれを許さないのです。それはある意味では残酷なことかもしれませんが、それに耐えられる魂をみさきは持っているから、彼女は完璧な存在として君臨でき、そしてその在り方はとても美しい。

 逆に縁はそこまで強くなかったから消えてしまった。どんなことからも逃げないという正論は、あくまで自分発露だから納得できるのであり、他者から押し付けるものではない、そんなことを言いたかったのかもしれません。

 みさきルートはギミック的な面白さはありませんでしたが、みさきの在り方は大変好ましく、非常に好きなルートでした。

琥珀ルート

  琥珀ルートは作中屈指のギミックを持つルートでしたね。このライターの作品をプレイする人はこれを待っていたのではないでしょうか?サイコロの出目が固定されることに気づいた黎が仕組んだ功名な罠から、猫の眼を利用した赤のマスを無視するというギミックは、まさに見えていた世界が一瞬でひっくり返るようで気持ち良すぎました。

 ただ他に特に言うこともないのがこのルート。琥珀ちゃんは可愛いかったんですけど、それよりも変わらないみさきの在り方がとても好ましかったです。

クレアルート

 クレアルートは作中で最も恋愛シュミレーションゲームやってましたね。縁の強さに応じて場にいる人の気持ちが筒抜けになってしまう合縁という戒が、ギャルゲーと凄くマッチしていました。特に隣に座って一緒に資料を読むんだけど、当然主人公は可愛いクレアを意識してドキドキしちゃうのを合縁でバレバレになっちゃうとことか、好きな気持ちは伝わってるくせに言葉に出されるとドギマギしちゃうところとか、寝たふり決め込んでる主人公に好きだという気持ちを吐露するところとか、最高に身もだえましたね。そして縁が深まって、互いを想う気持ちが嫌ってぐらいに伝わってきちゃうのがもう!これだよ、これが欲しかった!他のルートと比べれば同じ場所に長く二人でいるということが多かったから、順当に二人が近づいてくのを感じられて、非常に良いルートでしたね。

 勿論、アタック25双六デスゲームも全くどういうオチになるか読めずに、こんだけ人いたら千日手になるのでは?と思っていたところで綺麗に纏めてきたのが素晴らしい。ただ、他2ルートと違って一人しか上がれないという所が物語のテーマ的にどうかなっていう所はありました

 クレアちゃんについて少し。相手の気持ちが分からない中でとるコミュニケーションの面倒さは私もとても理解できます。というか人類すべからく相手の気持ちなんぞわからんので(能力者混じってたら知らん)、多かれ少なかれ思うところはあるでしょう。でもその面倒臭さがいいなどとは口を滑らせても言いませんが、私は相手の気持ちなど分からない方がいいと思うのです。皆が個を持っている以上一つになることはできないし、たとえ知ったところで皆の気持ちを拾いきれずに頭と心がパンクしてしまうのがオチでしょう。そういう意味で心を覗ければ何でも解決できると考えたクレアちゃんはその賢さとは裏腹に、幼い精神を持っていたと言えます。ちょっと物語の趣旨からは外れちゃいますけど、でもそういうとこが可愛いんですよね。

 クレアルートは、明るく元気で笑顔が可愛く、勝負事に徹しきれない純粋なクレアちゃんを純粋に愛でることができる良ルートだったと思います。

TRUEルート(京楓ルート)

 みさきルートで正論は人を救わない―という話をしました。じゃあ人を救うのは何でしょうか?それは情熱、ひたむきな心なんですよね。

 TRUEルートの大きな山場は二つありますが、そのうち一つが縁と大誠のやり取りだと思います。あのシーンいいですよね。現実から逃げて逃げて八つ当たりしてきた縁を、大誠が文字通り体を張って説得する。これができるのは大誠だけだという所が、このシーンに説得力が増し感動的になったポイントだと思います。

 みさきと大誠の大きな違いは何かと言えば、みさきはこうありたいと思っていることを他人も強制しているのに対して、大誠の「自殺はダメだ」というのは信念であり、どんなことがあっても曲げない自分の旗印なんですよね。どちらも正論なんですけど、大誠のそれは自分発露の想いであって、この信念に従うのは当たり前のことで、だから熱量が違う。故に、自分の身を呈してでも縁の自殺を止めるし、一手一手が致死の攻撃を平然とした顔で無防備に受けられる。その真っすぐな救いたいという気持ちが縁を救ったわけで、彼にしか彼女を救えなかったんです。それってとても劇的で、運命的な在り方なんですよね。

 また縁にずっと一緒に居てくれと言われた大誠がしっかり断っているのも好感が持てます。あくまで彼は彼女を救いたいだけで、そこに恋愛の気持ちはない。そういう不純物を入れないからこそ彼の気持ちは輝いて見えるのです。ここから彼らが好きあうかどうかはまた別のお話というわけで。主人公より主人公してますよ、マジで。

 

 続けてTRUEルートのもう一つの山場は、勿論鬼、物部先生との対決ですよね。これ、ここまでの地の文が全て物部先生視点だったのが凄すぎる。確かに3人称で話を進めるギャルゲーは珍しいなと思っていたし、地の文で双六の世界観を読み手に押し付けることで無理やり世界を構築していて、今回は少し作りが下手だなーなんて思ってた所でこれですよ。

 全 部 伏 線 だ っ た 。

 戦いの締めも、全員との縁を消すことで双六上に存在できなくするというもので、本作のテーマと合致していて素晴らしいですよね。人は一人では生きていけない、友情でも愛情でも憎悪でも必ず何かしらの縁で結ばれている。その縁を全て切れば永沈するのみ――この世界はそういう世界なんだってことを再確認させられます。

 ただ、物部先生の在り方には多少疑問が残るところがあります。物部先生は、何度もこの双六デスゲームをクリアし、持ち帰った縁を何個も所有する存在。クレアの父とカラスの盟友で共に双六の研究をしていたことは分かっています。ただどこで物部先生がおかしくなったのか、何故暁の天縁を欲しがっていたのかなどがやっぱりよくわかりません。

 ポイントとなりそうなのは、みさきルートでの幻日シーンで物部先生が暁に占ってもらっているところで、自分には想い人がいるということ、自分は縁の下の存在にしかなれないと吐露していることぐらいなんですよね。で、これだけ見ると彼の観察対象は暁と縁ぐらいですから、暁の力になりたいと読むのが自然なのですが、そうなると物部先生が暁を陥れようとする理由がわからない。

 ここで『紀長谷雄の双六伝説』を思い返してみましょう。紀長谷雄は鬼と双六をし勝利を収めて、対価として絶世の美女をもらいますが、約束を破り100日を待たずに女を抱いたために溶けてなくなってしまうというお話でした。今作、鬼は物部先生だったわけですが、じゃあ紀長谷雄は誰だったんでしょう。双六は一人ではできない、盤と駒と対戦相手が必要です。作中では敵は京楓と言っていましたが、これは本当でしょうか?確かに強い敵意を暁に持っていましたが、やはり駒とプレイヤーでは次元が違いすぎる。ならば紀長谷雄は別にいるという話になるわけです。そして消去法で考えるなら、紀長谷雄はバークリー・クレアということになります。作中、クレアは暁に似た趣味を持っている人がいると言っており、それは父親であるバークリー・クレアであると考えられることから、紀長谷雄陰陽師=バークリー・クレアと無理やりつなげることもできます。

 となるならば、物部先生は真に暁のことを思っていて、みさきを助けるためにこの双六をバークリー・クレアと共謀して始めたというのが真相だと考えられないでしょうか。それこそ節分の日に父親が鬼の面を被って、豆を投げられるように。最初から自分は負けるつもりでいて、大誠の病縁を持ち帰らせるように仕向けたのかもしれません。いや病縁すらもたまたまで、天縁があれば奇跡を起こせると考えた方が自然ですか。ただ、生きて帰るには鬼を倒す必要があった、だからわざと挑発し、倒し方を婉曲的に教示したのです。紀長谷雄がバークリー・クレアで、みさきを助けるために双六を始めたのだから、クレアがそのことに気づいて服毒したのもおかしな話じゃなくなります。バークリーと知己であるカラスが双六の開催に気づいたのもまた必然なのです。また、物部先生は縁のこともずっと見ていて、丁度縁とそれを助けた大誠が死にかけていたから丁度良いと考えたのかもしれません。そう考えてしまうと、狙ってやったこととはいえ随分悲しい結末ですね。

 また、別の見方をしてみましょう。冬茜トム氏の作品である『さいころ』『アメグレ』『さくレット』この3作品に共通することは、とても丁寧に伏線を回収するにも関わらず、不自然なほど所謂ラスボスの過去が語られないことにあります。『アメグレ』であれば実行犯はまた別ですが、真の黒幕はひと言も喋らぬままフェードアウトしますし、『さくレット』の加藤は驚くほどその目的が語られません。『さいころ』にしても物部先生は唐突感がぬぐえないでしょう。

 これらを見るに冬茜トム作品では、悪役は我々読者と縁を繋ぐことすら許さないということを暗に言いたいのではないでしょうか。悪役に対して話を深めれば、それだけ同情だったり、共感だったり、憎悪だったりできるわけですが、それすら許さない。だから、毎回冬茜トム氏のラスボスは縁を切るだの、人知れず死ぬだの、存在を消されるだのするわけです。絶対的な勧善懲悪、桃太郎の下りが作中出てくるのはそれを示唆しているとも読み取れますね。

 

 まとめ

  今回めっちゃ長くなりました。『さいころ』はその文体の小難しさや、背景の古典知識の欠如などもあって非常に読みにくい作品ではありましたが、相変わらず読み直す度に感じ方が変わるスルメ作品で、個人的満足度はとても高いです(これきっと仏教知識増やせばもっと面白いんだろうなぁ)。

 ただやっぱりギャルゲーとして、これはどうなの?っていうのは免れないところだと思います。最後の選択肢でクレア以外を選ぶのが辛くて辛くて・・・いやうっきうきで選択はしたわけですが(しかも最初はみさきに行った)。

 今作が秋、アメグレは冬、さくレットは春ですので次は夏ゲー・・・期待しちゃいますね!それまでに3作再度読み直してみても、また新しい発見があって面白いかもしれませんね。

 というわけで今回はこの辺で、ではでは。