マダツボミの観察日誌

ギャルゲーマーによる、ギャルゲーやラノベの感想、備忘録とか

『教育格差』備忘録

 今回は次の本を読んだので、自分の記憶整理のため備忘録として残します。

教育格差 (ちくま新書)

教育格差 (ちくま新書)

 

 日本の教育格差の現状を述べた新書ですが、読んでいて非常に胸が痛くなりました。

 読後の感想としては、今までの信じていたものが壊されると言うか、現実を突きつけられて目の前が暗くなるような気分です。本の帯の触れ込みと一緒ですね。『読後感は重いが、説得力は半端ではない。』

 

 本書では幼児教育から順に高校教育に至るまで、生まれた環境とその後の進路に相関があるということを、膨大な図表を元にして説明しています。

 この本では、高SES層(社会経済状態が高い層、ここでは大卒以上の両親の数、家の蔵書数、三大都市に住んでいるなど)の子供は低SES層(逆に社会経済状態が低い層)の子供に比べて、学歴レースで勝つ確率が高く、これはすなわち裕福になる(高SES層になる)割合が高いということを述べています。この結論に至るまでの細かい分析が本書の半分ほどを占めており、この結論の説得力を高めています。

 こんなことを言うと『別に学歴だけがすべてじゃない』とか『低SES層でも有名大学に受かる人もいる』などの批判をしたくなるのが低SES層の常ですが、本書ではこの辺の批判をすべてねじ伏せているのが恐ろしい。どのようにと言えば、データに基づいて『学歴と平均年収の間には相関がある。学歴が低くても年収が高い人も一部いるが、それがこの相関を否定する理由にはならない』であるとか、『生まれと学歴の間には相関がある。生まれが悪くてもいい大学に入る人も一部いるが、それがこの相関を否定する理由にはならない』といった風にです。

 ではこの教育格差をどうやって埋めていくか、ということを私は読んでいて期待していましたが、この本はどこまでも真面目で、現実主義であり、特効薬のようなものは書かれていませんでした。ただ最後の章にて、本書の提案が二つありました。一つにこの格差を明確に示すデータをもっと国、地方公共団体を通じて収集すること、二つに教育格差を教職での必修科目にすることです。とにかく現状をより把握して、改善案を模索しつつ、少しでもより良い形にしていこう!というわけですね。

 最後の章の中で私が印象深かったのは、平等と自由は両立できないということでした。文章で起こしてみると何を当たり前のことをと思わなくもないですが、確かにこれを私は自覚できていませんでした。本書の中では例として、ゆとり教育で土曜日が休日になったことにより、より自由な時間は増えたが、その分高SES層はその時間を勉強や習い事など文化的な活動に使う傾向があり、一日をメディアの消費などで過ごしがちな低SES層と比較して格差が広がったということを述べています。自由にすればいいほどその時優秀な人間はより優秀になるが、その時の劣等生はさらに劣っていき、平等性を失うということですね。より優秀な人間を増やす方がいいか、全体にチャンスを与えて埋もれている才能を活かしていく方がいいか、確かにこれは難しい問題ですね。そもそも低SES層は逆転することを思いもしないということもポイントだと思いました。

 というわけで、『教育格差』は日本の現状の教育格差に関する研究を、私のような一般市民にもわかるように伝えた良書でした。二度目読むときは各章のまとめと7章だけを読めばいいと思います。現在高SESの方は本書の目的とは逸れますが、どういう教育を施せばいいのかの指針になりますし、現在低SESの方は年収などどうしようもない部分もありますが、意図的教育や文化的な活動の推進など意識を変えることはできるかもしれません。