マダツボミの観察日誌

ギャルゲーマーによる、ギャルゲーやラノベの感想、備忘録とか

月と六ペンス感想

月と六ペンス読み終わったので備忘録代わりに記事にしようと思います。

*今回は真面目な記事ですのでご安心してお読みください。

今回私が読んだのは岩波文庫から出てる行方昭夫さんの翻訳版ですね。月と六ペンス (岩波文庫)

月と六ペンス (岩波文庫)


 

この作品は世界的画家であるゴーギャンをモデルとしたストリックランドの生涯を彼の友人の視点から描いた作品になっています。ただ、この作品を読み終わった後にゴーギャンについて調べたら事実とは結構異なる部分がありましたので、創作物だという認識で読んだ方がいいと思います。

さて、作家を職として生きている主人公である私は、イギリスでの社交的で変わらない生活に飽き飽きしていました。そんなところでストリックランド夫妻と出会います。この夫妻に出合った時、主人公はなんて面白味のない普通の幸せな家庭なのだと思い、特段の興味を寄せませんでした。しかし、ある日突然夫であるチャールズストリックランド氏は、妻を置いてパリへと失踪してしまいます。困惑した妻は主人公にストリックランドを連れ戻してきてほしいと頼み、義憤と好奇心から主人公はパリへと説得しに向かいます。そこで奇妙なストリックランド氏と会うところから交流が始まり物語は進んでいきます。

このストリックランド氏はとにかく終始クソ野郎なんですが、なぜか憎めないそんなキャラをしていました。突然絵を描きたくなったから、女に縛られたくなかったから、40歳という歳で証券マンという安定した地位を捨て、少ない貯金でパリに来て絵描きになります。仕事もろくにしない、金の無心だけはする、部屋の掃除もしない、自分の世話もできない、自分に親切にしてくれるものに暴言を吐く、挙句その妻を寝取り捨て、その妻が自殺してしまっても何も思わない。でもストリックランドの行動言動は一貫しているんですよね、とにかく自分の中にある何かを解放したいがために絵を描く、そこに名誉はいらないし、愛は大きすぎてそれと両立しないからいらない、でも自分の中にある性欲は抑えきれないから、たまに抱くための女が必要で、使い終わったらその女には興味はないし、絵を描くことに時間を使いたいから自分に構わないでほしいと思う。そしてこのストリックランドの性質を描いた描写が秀逸なんですよね、ほんとにこいつは自分のこともしくは求める美以外に興味ないんだなってことが伝わってくるんです。だから凄くゴミ野郎なのに憎めない、でもストリックランド氏にそんなことを伝えたら興味無さげに「犬にでも食われろ」って言われそうですね。天才ってこういう人間なのかあとも思います。私はこういう生き方を決してやってみたいとは思わないけれど憧れますね。

その後いろいろあってストリックランドはタヒチへと行きそこで病気で死にます。そこで有名な「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこに行くのか」を描いたということです。ストリックランドは自分が解放したかったものを表現することができたのでしょうか?私は絵画について、全くの素人ですのでこの絵を見ても、なんか怖い(小並感)程度の感想しか生まれませんでしたが、これだけ他人に迷惑をかけたのだから実現できたのだと願いたいです。

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 ゴーギャン作 我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこに行くのか

月と六ペンスはもともとサクラノ詩をやった時に真琴ちゃんの天才観で出てきた作品で興味を持ち読んだのですが(結局ギャルゲー)、新しい価値観を見つけられた良い作品だと思いました。