マダツボミの観察日誌

ギャルゲーマーによる、ギャルゲーやラノベの感想、備忘録とか

【勢いこそ正義】マルコと銀河竜 感想【ほろりもあるよ】

 の世には二種類の人間しかいない・・・

 『マルコと銀河竜』を楽しめる人間楽しめない人間だ。

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 というわけで、『マルコと銀河竜』プレイして来ましたので、感想を徒然なるままに硯に向かって綴っていきます。

 いつも私はギャルゲーをプレイする時、伏線とか思ったことを忘れないようにするために、大学ノート片手にプレイしてるのですが、

 今作は開始10分で

 「あっ、これ流れに身を任せて感性で楽しむ奴だ」

と気づきノートを投げ捨てたので、書ける感想が、

 

 『超、楽しかった』

 

しかありません。

感想おわり。いやー良い作品でした。

 

 

 

 

 

 

 嘘です。いや、超楽しかったは嘘ではないんですが、もうちょいだけ書かせてください。

 『マルコと銀河竜』のライターであるハト先生(先生という言葉が人を駄目にするのだとは誰の言葉だったっけ?)は『ノラとと』で有名になったライターさんですね。『ノラとと』は私も御多分にもれずプレイしたのですが、共通ルートの暴走特急のようなノリと、言葉のドッジボールに突然出現する「間」に終始笑っていた覚えがあります。

 今作については『ノラとと』と同様、いやそれ以上の勢いになっており、終始笑いすぎて死にそうでした。もうあまりに勢いが早すぎて、ツッコミが追いつきませんでしたね。

 この差は何かと言えば、やはりCGの枚数でしょうか。いろんな人が感想で言ってるように、今作はCG枚数が凄まじく、その数1000枚オーバー!!

 開始早々、息つく間もないCGの奔流に私は驚き、そして・・・

 

 イラストレーターさんの腱鞘炎が心配になりました。

 

 『マルコと銀河竜』のイラストレーターは別の銀河から誘拐されてきて奴隷のように扱われている人間たちだったのだ!これが本当の『マルコと銀河竜』だ!っていう話も嘘には思えないくらいは凄かった。

 序盤を終えて、CGの枚数が減ったあたりでイラストレーターさん宝物探しにいったな?なんて思って一人笑ってましたね。でもでかピーマンのCGがあるのに、水着選択肢でCGがほとんどなかったのはいけません。なんでここにCG無いんだよ!!っていうツッコミも含めて織り込み済だとしたら、恐ろしい作品ですね笑

 

 さて話が少しずれましたが、このパラパラ漫画のような画面の切り替わりと、ハト先生のシナリオがシナジーし、物凄い勢いを生んでいたのは疑う所ではありません。

 そして勢いがあると大抵のことは面白いんです。フェニックスの下りなんか特にそうで、あの瞬間は滅茶苦茶笑ってたんですけど、いざ説明しようとすると大して面白くないんですよね。友達にこのシーン面白かったんだよって説明しても、「何言ってんだこいつ・・・?」みたいな怪訝な顔されること請け合いです。

 本来アニメと違ってギャルゲーは一文一文をゆっくり読むから頭の中に入ってきやすく、この間こそがギャルゲーを面白くしているのだと思っていましたが、この作品はそれを逆手にとってというか真っ向からぶつかっていった奇作だと思います。

 というかこのゲーム、もはやアニメーションでいいのでは?と思わなくもないですが、ノベルゲームという媒体でこれをやったからこそ面白かったし、注目されたという側面もあると思います。新しい試み、大いに大歓迎!!(ダブルミーニング

 

 少しだけシナリオの話を。

 ギャグだけで押し切ったと思いきや、意外とシナリオがしっかりあったのも今作が良かったポイントだと思います。フェニックスの下りやミュータントと戦ってる下りとか、ただの不条理ギャグかと思っていたらラヴとつながりがあったりとか。あとラヴのお陰で、侵略されている割にこいつら頭ゆるいなっていう所にも説明がついてるしと、あの設定は良かったなと思います。

 また、ラストの展開はお約束ですが少しほろりとしましたね。

 銀河竜の存在がさみしすぎる。ただ、記憶は無くなっても気持ちはなくならないと言う終わりは良かったですね。マルコも母親も記憶は無くなっても、愛した気持ちは忘れなかったのと同じように、名前も記憶もなくなっても、この大きな気持ちは忘れない、この宝を探しにいこうというのは話としてもしっくりきました。

 全体的に掘り下げが不足していたことは否めませんが、短いながらにしっかりまとまっており、また簡単に彼女たちのことも想像できるので問題ないです。いい意味でも悪い意味でもお約束を破らない物語でしたので、それをあえてダラダラと説明しなかったというのは、逆に良かったのではないでしょうか?

 なんか良いように捉えすぎですか?そうかもしれません。

 

 あと、今作とても音楽がよかったですね。OP、挿入歌どれも素晴らしかった。でもちょっと乱用しすぎていたのはバッテン。せめてオートで流して挿入歌が1週するぐらいで場面を切り替えてくれないと、感動も半減だよと思ってしまいます。 

 

 と、色々と書いてきましたが、何はともあれプレイしている最中は滅茶苦茶楽しかったので、もうそれだけで満足です。もうあまりに笑いすぎて、疲れました。疲れた後にめっちゃ目がギンギンに冴えて眠れず、お陰で寝不足です。

 というわけで眠いので今回はこの辺で、久しぶりに楽しい体験ができて感謝しています。日常生活で欠けた喜怒哀楽を手に入れることが、私が創作物に求める最大の目的ですから。TOKYOTOONさんの次回作が出たら、絶対買わせてもらいます。

【究極の雰囲気ゲー】Re:LieF~親愛なるあなたへ~ 感想

 さて9月ももう終わりで、なんと2020年も終わり間近ですが、変わらずエロゲをやっています。どうもこんにちは。

 今回は、『Re:LieF~親愛なるあなたへ~』をプレイしましたので、その感想記事となります。

 あ、普通にネタバレするから注意です。

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 プレイし終えた第一感の感想ですが、例えるならめちゃくちゃ薄味の高級フランス料理ってところでしょうか。

 全編通して、雰囲気はすごい良いんですよね。背景、CG、演出、音楽、この辺のノベルゲーの雰囲気を作り出す要素は、総じて素晴らしかった。特にOPは耳に残る旋律と透き通った歌声をバックに、目を奪われるような美しい演出と、ここからの展開を指し示すような期待感の持てるムービーで、文句の付け所がありませんでした。OP大賞取れる出来ですよ!これは!(そんなものはない)

 しかし、ノベルゲーの屋台骨となるシナリオには一言物申したい。全体的に薄味気味、悪く言えば退屈なシナリオは、このゲームの雰囲気を損ねないと言う意味で仕方のないこととしても、ラストの展開には納得がいきません。ヤリ捨てはやめろってお兄さんと約束したよなぁ???

 内容としてはドロップアウトしてしまった社会人の再出発ものだと思っていたのですが、どちらかと言えばSF色の強いゲームでしたね。共通の日向子編はありがちですが、日向子の成長を見ることができて満足でした。というかこのゲームを買う人が予想した内容はこれだったんじゃないでしょうか。

 個別ルートはあくまで本筋であるアイルートを補助するようなルートで、初見、終わり方が意味不明でした。途中のヒロインとのやり取りは悪くはなかったのですが、悪くはなかった止まり。普通のギャルゲーであれば主人公が何もしなくてもモテることに違和感を(慣れたので)覚えないのですが、こうリアルに近づけられると違和感が如実に現れるんですよね。あまり関係を深堀しないストーリーだったというのも効いているのかもしれません。

 話を戻して個別の終わり方ですが、最後までプレイしてみれば、なるほどと納得する部分もありましたが、もうちょっと個別で深掘りしてもよかったのかなと思います。もも√の誰がトトを消したのかとか、ミリャちゃんは何で名前を変えて計画に参加していたのかとか。全部読み終わってみても、明確にはわからないですね。感情を持ったAIを憎んでいる存在って、あるなら流花ちゃんぐらいしか存在しないんですけど、性格的にはやらなさそうです。消去法的には理人ですかね、理人は過去の話がなかった気がするので、もしかしたらAIを憎むような過去が・・・いやないか。

 そして肝心のアイルートですが、私からは一言。なぜユールートにしなかったのか、につきます。ただこれは、アイが悪いわけではないでしょう。確かに過去、幼い司と画面を通して触れ合っていた記憶はコピーされているわけですし、惹かれあうのもわかります。ただどこまでもユーが救わないですよね、この話。婚約者を妹にとられたみたいなもんですよ!

 確かに物語上、アイの存在がユーに次の一歩を踏み出させるために必要だったということはわかります。ユーは、司を陥れた現実世界を酷く嫌悪してしまい、暴走してしまった。暴走を止めるためかわかりませんが、ここでバックアップとして司との過去だけをコピーしたアイが生まれ、彼女は感情まではコピーされていないから独自のAIとして存在することができ、そしてだからこそアイはユーを止めることができました。

 これは、弱い司が仮面の司を止めたことを対比させているので、物語の構造的には悪くはないです。ただこれはどちらも消された方の人格のことが一切考慮されていないのが心苦しい。そもそも仮面だって本当の自分だろって思うんです。誰だって多かれ少なかれ仮面を被って生きていて、それは成りたい自分であることも多くて、仮面を被り続けることで徐々に元の自分と織り交ざっていき、自分が徐々に変質していく、それを人は『成長』と呼ぶんだと私は思います。確かに殻に閉じこもることが正しいとは思えませんが、そうといって仮面を完全否定して、ただ生の状態で現実と立ち向かうのが正しいという本作の趣旨には疑問を感じました。

 また、ユーは消されていないですが、アイに最愛の司を取られてしまっている。それについて特に何の反応もなく受け入れているユーにも違和感がありました。お前、ピアノの経験をアイに引き継がなかったのは、その関係性というか個人の思いを大切にしていた証拠なんじゃないのかよと。そしてだからこそ、ラストのピアノの協奏シーンは人とAIの心をつなぐ感動的なシーンなわけですが、その前のアイの下りが入ってしまったのでイマイチ乗り切れずにいた自分がいました。美しいシーンではあるんだけど、ユーの心情を思うと心が苦しくなります。

 これ所謂スワンプマンの話だと思うのですが、その割にはAIの個としての葛藤とか存在証明とかそういう所が描かれてなかったのが残念です。結局のところAIは人間として扱ってなくてAIなんだなって思わせてしまうような所が、このシナリオの問題点だったのかと思います。友達って、自分(人間)にとって都合の良い存在のことを指すんか?っていう。

 そもそもアイを存在させる理由が物語の構造上の都合でしかないというところが問題なのだと思います。私が読み飛ばしていただけなのかもしれませんが、どう考えてもアイの存在は異質です。暴走したユーを止めるのはトライメント計画で成長した司でよかったんじゃないでしょうか。ただこれは、私がユーに強く思い入れをしているからかもしれませんね。

 とまあ、ラストの展開には少し疑問を持ったものの、本作は醸し出す素晴らしい雰囲気に押され最後までプレイできてしまったーそんな作品でした。続編も、エロなしですがRe:Liefで選ばなかった新たな選択肢ということですので、ユーの救いを求めてプレイしたいなと思います。

CROSS†CHANNEL 感想

 ーー生きてる人いますか? 

 『CROSS†CHANNEL』今更ながらプレイしました。ずっとプレイしようプレイしようと思っていたらもう2020年ですね。本作の発売が2003年みたいですから、17年も経ってることになります。発売日に生まれた子供がそろそろ今作をやれる年齢になると思うと胸が熱くなりますね(なるか?)。

 さて感想なんですが、私にとってこの作品は人生の答え合わせでしたね。

 勿論人生には答えなんてないんですけど、今までの経験から自分が考えていたことと、主人公の太一がヒロインたちに説法する言葉が一致したんです。他人に自分の心を委託するなとか、交友とは手加減のうまさでしかないとか。

 太一がこういう結論に至ったのは、強い悪意を受け続けたことや、信頼していた人に裏切られたことですが、人の輪の中で生きていれば太一ほどの劇的な過去はなくとも、多かれ少なかれそういう事に皆直面するものだと思います。直面するよな?

 一見、上の台詞は聞こえが良いですが、シナリオを読んでいく中で、それらは太一の自分を守るための逃げであると読み取れます。嫌なことがあったとき、そのあとどういう風に生きるかーー逃げるのか、立ち向かうのか、忘れるのか、そもそも気づかないのかーーは人によって変わるでしょう。私は太一よりの人間だったということで、嫌な経験からの自己防衛として、個でなければいけないという観念が確かにあるのです。そういう意味で肌に合った作品だったと思っています。

 

 今を生きなさい、過去でも未来でもなく自分が感じているのは今なのだからというような論調はよく耳にしますね。ギャルゲーだと『はつゆきさくら』がそれです。こういう作品を読むたびに、これが『普通』だよなと強い納得感とともに自分も今を生きなければいけないと思うわけですが、暫く経つとやはり過去にとらわれている自分に気づくわけです。ギャルゲーをプレイするのなんて最たるもので、友人たちが皆卒業していく中、未だに私は遊んでいます。

 でも『CROSS†CHANNEL』はそんな自分を肯定してくれているような気がして、私は救われた気持ちになりました。

 『普通』のコミュニケーションを、全てうまくいくような『グッドエンド』を追い求めていた太一は、度重なる失敗により諦めて人の消えた世界に一人残ります。思い出だけを胸に残して。

 当たり前ですけどないんですよね、現実にはそんなもの。どんなに仲良くなったと思っても、勿論相手が何を考えているのかなんて実際はわからないから、突然いなくなることも、理解できなくなることも有りうるし、勿論誰もがずっと笑っていられるような結末もない。だから太一が一人だけになったEDというのは、そんな現実で、色々なことに目をつぶって虚像の幸せを追い求めなくても良い、個のままでいいと言ってくれているように私には感じられました。

 

 一方で本当にこの作品を肯定していいのか?という疑問もあります。私たちは太一と違って一人の世界に逃げ込むことはできないですし、元の世界に送還された放送部の面々と同様、残酷な現実で生きていかねばなりません。

 ただこういう作品と出会えたことで、私のように思っている人は一人じゃない、暗闇の中にいるようで、顔は見えなくても同じことを考えている仲間がいるんだと知れたことが一番の収穫のように感じます。それが何よりも心強い。

 

 『CROSS†CHANNEL』は正直プレイして面白いというような作品ではなく、人に勧められるようなものではありませんが、同じように悩んでいたりする適応係数が高めなお仲間にふと出会って救われて欲しい、そんな作品でした。

 

ーーまだ皆さん生きていますか?

【ノエルちゃんヤリ捨て事件被害者の会】メモリーズオフ-Innocent Fille- 感想【ネタバレ注意】

 『一番好きなギャルゲーは何ですか?』

 今まで10数年、色々なギャルゲーをプレイしてきて、面白い作品は沢山ありました。しかしあえて一番好きなギャルゲーを上げるとしたら――私をこの世界に引き込んだ”想い”出であり元凶の作品『メモリーズオフ』シリーズと答えるでしょう

 今回はこの『メモリーズオフ』最終作『メモリーズオフ-Innocent Fille-』を発売から2年経ちましたがトロコンしたので感想の方を書いていきたいと思います。

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変わってしまったあの子

 実を言えば、私はこのゲームをプレイするのが怖かった。それはサスペンス的な要素が含まれているから――というわけではなく、私の想い出の中のメモオフが素晴らし過ぎて、そのイメージが壊れるのが怖かったんです。

 『メモリーズオフ』シリーズは、6から少し毛色が変わり、ゆびきりの記憶から明らかに方針転換したように私は感じていました。バイオレンス展開やドロドロとした人間関係を全面に押し出した広告を見て、確かにそれはメモオフの一つの要素ではあるけれども、それがメモオフの良さではないと思い、ゆびきりの記憶は購入したもののプレイしていませんでした。私が好きなメモオフは記号化されていない”自然”なキャラクター達が織りなすストーリーなんです。皆が他者を思いやって動いているのにうまくいかなかったり、些細なすれ違いからどうしようもない選択を迫られたり、そんな話が好きでした。

 さて、メモオフIFについても同様の広告がうたれていましたね。RAINシステムなどはメモオフのシリアス要素を全面的に押し出したシステムだと思います。正直私はこの売り文句を見てかなり不安になりました。そのため購入してから2年も放置してたわけですが、いつの間にかPC版も出ていたし、やはり最終作ということで気になって今回プレイしました。結果としては、私の不安は半分的中してしまいましたね

メモオフIF総評

 前置きが長くなりましたが、プレイ後の感想です。

 ラスト直前までは間違いなく『メモリーズオフ』でとても満足していました。ノエルちゃんは圧倒的なヒロイン力を見せ最高に可愛かったですし、扱うテーマもいじめ問題や精神疾患と重い問題が多かったものの、(いじめの実行犯の二人組を除いて)皆が互いのことをはじめは思いやりながらもどうしようもなくなってしまう展開は自然で、重い話でありながらもどこか優しさを感じられるようなストーリーは私の好みでした。また二転三転していく話は予想がつかず、ミステリ小説を読むような楽しみがありましたね。ちょこちょこ出て来る過去作ヒロイン達もファンとしては嬉しかったです。いのりちゃんのなぞなぞターイ・・・は久しぶりに聞いても可愛いかった。

 しかし、ラストの展開、春・冬エンドは、私が思い描いていた『メモリーズオフ』ではありませんでした。というかメモオフとか抜きにしても、ラストの展開には言いたいことが山ほどあります。驚きの展開を越えて超展開であるし、超展開の先になんとも奥歯に物が挟まったような終わりと、どういう意図を持ってこうなったのか小一時間問い詰めたくなりますね。超展開なら超展開でせめて感動させてくれ、泣かせてくれと声を大にして言いたい。

 メモオフとは?

 じゃあお前、メモリーズオフってなんだよって言う話しなんですが、これはシリーズのテーマを考えるのが一番分かりやすいと思います。

 メモリーズオフ』のシリーズを通してのテーマは、過去=雨を乗り越えるために、現在のヒロインor主人公=傘をさして未来に歩いていくことだと思います。ノエルルートであれば、共に周りに馴染めないという似た境遇のノエルとの出会いを通して、過去を乗り越えていくという話だし、寿奈桜ルートであれば主人公に並び立つために弱い自分を変えていくという話だし、柚莉ルートであれば琴莉という過去を乗り越えて、今いる柚莉と未来を生きていくというまさにメモオフらしい話だったと言えます。じゃあメモオフIFのグランドである春・冬エンドはどうだったかというと、この仕組みが破壊されてるんですよね。

主人公の罪の喪失

 主人公の累は「琴莉を守れず、自分だけが生き延びてしまった」という罪の意識を持った少年です。春・冬エンドはそれが真相が解明されていき、「琴莉を助けるために、彼女の父親を殴り結果として殺してしまったこと」に変化します。そして最終的には琴莉の父親の死因は希莉がナイフで刺したからということがわかるわけで、つまり彼の罪が丸ごと消えるわけですよね。だから彼は過去を乗り越えたわけじゃない。雨は勘違いだった。じゃあヒロインの瑞羽に越えるべき過去があったかと言われれば、そんなこともない。ここが私がラストの展開がメモオフぽくないと思った最大のポイントです。

存在しないノエルTRUE

 そして春エンドがノエルと瑞羽のダブルエンドだったということも違和感を感じたところでした。単純に私がノエルちゃんが滅茶苦茶好きなので、ノエルTRUEエンドみたいなのが欲しかったということは勿論ありますが、メモオフの主張として過去を乗り越えて未来を歩むというものがあるわけで、過去の女である瑞羽を振り切って、今大切なノエルを選ぶというエンドがあってもいいと思うのです。というかヤリ捨てはあかんで累くん。想君のように二つTRUEを用意してくれれば私のこのやりきれない気持ちは半分ぐらい救われたはずです。

メモオフ界での最強の存在

 ただこうなった理由も分かります。瑞羽の存在はズルですよね。今まで『メモリーズオフ』シリーズでは、死んだ人達は最強の敵として扱われてきました。1stの彩花をはじめ、想君のテンチョー、とぎれたフィルムの雄介、三木さんなどなど。想い出は時間が経つにつれて美化され続け、今生きている人が勝つことなどできないという主張だったと記憶しています。だから死んだはずの初恋の人琴里が生きていたという設定はメモオフでは最強ですよね。そういう意味では今までの流れをくみ取ったEDだったのかとも取れます。

 しかしそれにしたってもう少し瑞羽の掘り下げをしても良かったと思います。想い出は美化されるもので現在とは違うはずで、実際、日紫喜瑞羽と記憶の琴里につながりはありませんでした。でも正体を明かしたと同時に瑞羽は急に琴里になるんですよね。ノエルちゃんの誕生日プレゼントに竹刀をプレゼントしようとする人が、いきなり累ちゃん・・・ってしおらしくなるの違和感ありません?

ノエルちゃんヤリ捨て事件被害者の会

 日紫喜さんと琴里がつながらないから、累がノエルを捨てて琴里を選ぶというエンドに違和感があるのです。久世さんが殺されるまでずっとノエルと甘い日々を過ごしてきたわけじゃないですか、BADエンドで散々殺されてきたわけじゃないですか、それなのにぽっと初恋の人が出て来て全て奪ってくってどうなのよ?と思うわけです。日紫喜さんとの繋がりがあって累君がなんとなく日紫喜さんに惹かれていて――というなら分かるんですが、そういうわけではなかった。まあ初恋の人に久しぶりに再会したからと言って婚約者も社会的地位も捨てて初恋の女性に走った主人公もいたことですし、初恋は呪いなんでしょうけど、それならそれでそういう心理描写をもっと入れて欲しかった。

 そもそも何故累が琴里のことをこんなにも執着していたのかと言えば、琴里を火事で守れなかったからという罪の意識からですよね。真相を知った以上、生きてて良かったという気持ちはあれ、好きだ!とはならなくないでしょうか?大体が一度琴莉と決別したところで気持ちの整理はついてるのだろと言いたい。柚莉ルートはそれでも琴莉を忘れられなかったから会い続けたというルートであり、あの場面で決別できたのならば琴里がいざ現れてもそこまで惹かれることはないはずです。実際、瑞羽が琴里だと告白した際、極めて累は冷静だったように見えます。生きていたことに嬉しいという気持ちはあったと思いましたが、色恋とは別の気持ちだったのではないでしょうか。

 また、ノエルが「累さんは琴里さんのことを裏切れないことを知っています」と言っていましたけど、それはおかしい。客観的に見て真相解明後の琴里は累のことが今でも好きな初恋の女の子に過ぎず、それを裏切れないと言うならば、累君のことが好きで好きでしょうがないノエルちゃんを裏切ることはできないでしょう。だから冬エンドはただの同情に見えるんですよね。ノエルは光の中に生きているからいいけど、リーチも柚莉も奪ってしまって独りぼっちな琴里は可愛そうだから一緒にいるみたいに思えるのです。ある意味寿奈桜ルートと同じですね。もしかしたらそれが正解なのかもしれませんが、そのエンドにして我々にどう思って欲しかったのかが分からないです。

リーチとシャイロック

 と、ここまで色々講釈かましてきたわけですが、何よりも春・冬エンド最大の問題点はリーチと柚莉が救われないということに尽きると思います

 最後のリーチのセリフ『ベニスの商人』から、ライターはラストのシーンを通して過去との決別を描きたかったんじゃないかと考えています。ベニスの商人の高利貸しシャイロックの境遇とリーチの境遇は似通っていますね。作中、シャイロックは裁判に敗れ命の支えである金を奪われ、娘には逃げられ、そして改宗させられます。リーチでいえば金は琴里であり、娘は柚莉だったのでしょう、そして累に改心しろと迫られる。リーチはこのベニスの商人シャイロックのすべてを奪い改宗までさせる様を、主役側の傲慢だと考えていたのではないでしょうか。だから最後の台詞『ベニスの商人』は、お前何様だ?の意であり、これは累との決別を指しているのでしょう。しかし、過去との決別っていうけどリーチや柚莉の存在を捨てることがグランドなのかと問いたい。リーチや柚莉が明らかに悪側の存在であれば、その展開も悪くないですが、Twinルートで散々仲良くやってきたあとにこれはむごくないですかね?

舞台装置から逸脱できなかった希莉

 そもそも希莉の存在は必要だったのかという疑問があります。物語を劇的にするための装置にしか見えないんですよね。希莉がいなくて久世さんが殺されてさえいなければいくらでも何とでもなったでしょう(というか久世さんは殺されてしまうほど悪だったか?)。それか、久世さんと早めに分かり合って、リーチの暴走を止めた後瑞羽と繋がるというエンドがあっても良かったと思うわけです。柚莉ルートで、DIDの症状を回復させるためには琴莉を受け入れることが必要だという情報をプレイヤーは手に入れています。春・冬エンドは柚莉ルートが前提条件になっているわけですから、この知識も使いつつグランドフィナーレに導いてほしかったというのが私の率直な思いです。

ノエルちゃんが最高な話

 では、一通り文句を言ったところで良かった点について少し語っていきましょう。

 メモオフIFで一番良かった点はノエルちゃんが圧倒的に可愛かったことですね。ギャルゲーにありがちな記号的な可愛さではなくて、素朴な可愛さが良かったです。見た目が好みなのは勿論なのですが、累とのやり取りが凄く好きなんですよね。累もノエルも口数が多いキャラではありませんが、言葉を多く交わさなくても通じ合ってるというのが伝わってきて見ているこっちもほっこりしました。ただほほ笑んでいるだけで、好きだという気持ちが伝わってくるのが、もう可愛すぎますね。そしてそんなノエルちゃんがシーツ一枚で誘ってくるんですよ?こんなん断れる奴おらんやろって変な関西弁になりながら突っ込んでました。こんなヒロインと比べられてしまう寿奈桜ちゃんは本気で不憫に思います。

うまく歯車がかみ合った柚莉ルート

 シナリオとしては柚莉ルートが好きでしたね。二重人格との三角関係と言ってしまえば簡単ですが、そこには累君の初恋との関係があったり、実は琴莉自身も柚莉の願望から生まれていて彼女の一部だったりと複雑な関係が入り混じりながらも綺麗に終わらせているのに感動しました。ダブルルートはあるけど琴莉ルートはないというのが物語の主張ともあっていますね。琴莉はあくまで柚莉であり琴莉じゃない、だからこそ一つに統合できたのだという。最後サスペンス要素もありましたが、ルートの雰囲気が壊れない程度で個人的には満足いくルートでした。

パワポケを思い出すRAINシステム

 システム面もRAINシステムは正直どうかなとはじめは思っていたのですが、時間制限つき選択肢というのが演出の幅を広げているように感じ、好印象でした。選ばないのが正解とかパワポケを思い出して懐かしい気持ちになりましたね。

 終わりに

 さて、時は2020年、最早純粋な選択式のギャルゲー、しかもエロなしというのは絶滅危惧種ですね。そして、あまり最近のギャルゲーを沢山やっているわけではないですが、ここのところエンタメ寄りのギャルゲーがウケているように感じます。ノラとととかぬきたしとか、9-nine-もどっちかといえばそっちよりですよね。

 そんな中ではメモオフも変わらざるを得なかった、ということは分かります。しかし、7年振りにこの作品を出したからには、ラストメモリーズと名を打つからには安っぽいホラーサスペンスに逃げずに、ほろ苦い純愛劇を貫き通してほしかった、私はそう思ってしまいます。

 と、ここまでメタクソに書いてきましたけど、ラストの展開を除けばメモオフIFは名作になり得た作品だったと思います。ファンサービスも一杯ありましたし、結構満足感もありますね。警告劇場のごきげんようオチを久しぶりに見れて本当に嬉しかったです。それだけに、それだけにあともう一歩頑張ってくれれば、と残念な気持ちで一杯です。

 私がこう思ってしまうのは、もしかしなくても『メモリーズオフ』の想い出を美化しすぎているのでしょう。実は私も冬エンドの累くんと同じく、ノエルじゃなくて琴里を選んでしまっている――ということなのかもしれませんね。

【全ての若者へのエール】ATRI-My Dear Moments-感想【ネタバレ注意】

――地球に私も含まれますか?

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 『ATRI-My Dear Moments-』プレイしました。透き通るような青を基調としたCGがとても綺麗で、滅びゆく世界の中でもどこか暖かい町の住人達もあいまって、雰囲気が素晴らしく良いゲームでしたね。『9-nine-』もそうでしたけど最近はロープラのクオリティが高くて驚きます。こういうメインシナリオが一番大事だというギャルゲーは間延びしがちであることも多いので、意外とロープラとの相性はいいのかもしれません。個人的にもまとまった時間が段々取れなくなってきましたので、10時間ぐらいで終わるロープラの良作がドンドン出てくれるのは嬉しい限りです。

 プレイしての感想ですが、『ATRI』は割と使い古されたテーマを用いており、目新しさを感じることは少なかったですね。しかし、TRUE ENDまで最後まで上がり続けて一番良い終わり方をした作品でした。通常のグッドエンドでも十分良い終わりだと思いましたが、CGが足りないからまさかと思いバッドエンドを回収したのちに、TRUEENDが出た時はテンション上がりましたね。別れの美学というのは勿論あると思いますが、それじゃあやっぱり寂しいから、例えご都合だと言われようとも、本作のような最後に再会して終わるハッピーエンドが私は大好きですね。

ドン底からのスタート

 ストーリーのはじめはナツもキャサリンも住民たちもドン底からはじまるんですよね。足を失って、夢を失って、希望を失って、退廃的な空気が流れる中、ナツはアトリに出会います。そこから先生がいない学校で先生の代わりに勉強を教えて、発電機を作って学校に光を灯してと、少しずつ良くなっていく中で、ナツもキャサリンも住民たちも救われていきます。この”少しずつ”というのが良いんですよね。海面上昇で都市が沈んでしまったというのは大きすぎる問題です。これをはなから解決しようとするのは難しいし、それで諦めてしまったのがアカデミー時代のナツ君でした。”少しずつ”歩んでいったから、エデンの存在を見つけ、町に光を灯し、エデンを元に人工フロートを作り上げるまでに至ったナツの行動が胸にスッと落ちました。

支え合いの大切さを説いた物語

 また『ATRI』は人と支え合う大切さをうまく描いていますね。人と支え合うことが大切なんて言うのは当たり前すぎて、今の時代口に出すのは少し恥ずかしいぐらいだと思います。しかし、どれぐらいの人が自分が支えられて生きているという認識があるでしょう?

 現代の日本ではライフラインがあるのは当たり前であり、食料を手に入れることができるのは当たり前であり、ネットでワンクリックすれば欲しいものが届くのが当たり前になってきています。そんな中、自分が人の支えの上に生きているという意識は薄れ、独りで何でもできるなどと思いこんでいる人も増えてきているように感じます。

 アカデミー時代のナツはその典型で、完璧な義足をつけ、優秀な頭脳と大きな夢を持ち、自分の力だけでなんでもできると思い込んでいました。しかしナツは当然あるはずだった親の支援がなくなったことにより一気に落ちぶれ故郷へ逃げるように帰ります。そんなナツ君も右足の欠損からアトリの存在を受け入れ人を頼ることができるようになり、学校の友達と発電機を協力して作り、住民の希望を照らすことができたことで、人と協力することの大切さに気が付きます。ただ人と支え合うのは大切だと言われても表層の理解にとどまるだけですが、『ATRI』はいろいろな当たり前が欠けた世界でこれを描くことで、改めて人と支えあう大切さを強く伝えることができたのではないでしょうか。

可愛いアトリ

 少しキャラの話をしましょう。アトリは色々な顔を見せてくれて凄く可愛かったですね。私達が愛らしいと思うように仕向けた明るいアトリ、ロボットのふりをしたアトリ、感情を認識して照れるアトリ、全てが可愛く、一粒で二度、三度おいしいキャラでした。アトリの奥歯を磨いてあげるシーンが何度も入るのですが、それがいちいち可愛く、変な性癖に目覚めそうになったのが恐ろしいです。

 そして最初にも書きましたけど、CGが物凄く綺麗なんですよね。今まで10年以上ギャルゲーをやってきた中で一番良かったと言えるかもしれません。海の中でキスをするCGを見た瞬間私の心は奪われましたし、夕暮れの中で笑いかけてくるアトリのCGは可愛らしいのに綺麗で、エデンで鳥たちに群がれるアトリのCGは額縁に飾っておきたいぐらい良かったです。シナリオとか他のいろんなもの全部おいておいてCGだけで2000円以上の価値があると断言できますね。

全ての若者へのエール

 話をシナリオの話に戻して、『ATRI』は夢を持つこと、未来に生きることを強く主張していましたね。この対極となる存在として作中ではヤスダが悪役として登場します。

 作中悪役として登場したヤスダと夏生は似たところを持っていました。科学的見地からロボットに心は生まれないのだからアトリは不良品であるとするヤスダ、科学的見地から地球は救えないと考えた夏生。お互いアトリが実際感情を持っていることや、メガフロートエデンの存在によりその見地を否定されています。

 科学的見地から論理的に物事を考えていくことは勿論重要なことだといえます。現代社会はこの価値観から隆盛したといっても過言ではないでしょう。しかし、私達はこの科学的見地というのは”現代”の科学技術を基にした見地であることを忘れてはいけないのだと思います。

 科学はあくまで”過去”の事象を基にした仮説であり、未来のことは誰にも分からないのでしょう。だからといって科学を軽視しろと言っているわけではなく、『ATRI』は過去に囚われることなく夢を見ていいと言っているのだと思います。

 この情報時代、ネットを通じて私たちは必要な情報を簡単に得ることができます。これは便利である一方、若者にとっては不幸な側面を持ち合わせているでしょう。ネットでは様々な情報を手に入れることができる反面、想像の余地も減ってきているのではないでしょうか。本来もっと自由でいいんですよね、夏生の祖母が海面上昇の対策として、海面上昇そのものをどうにかすることでなくメガフロートを作ったように。温暖化を止めるためにはどうする?じゃなくてもっと別のアプローチがあっても良いのです。もっともこれぐらい考える人は一杯いるとは思いますが、大事なのはどんな夢を持ってもいいということ、『ATRI』は全ての若者に対してエールを送っているのではないでしょうか

終わりに

 『ATRI』は最近のエンタメ要素が強いギャルゲー界では異色の作品になると思います。腹を抱えて笑ったり、可愛さに悶えるような作品ではありませんでしたが、シナリオ・CG・演出全ての調和がとれており、アトリと過ごした45日は楽しく、My Dear Moments——まさに私の心にどこか残るような良作でした。