マダツボミの観察日誌

ギャルゲーマーによる、ギャルゲーやラノベの感想、備忘録とか

【圧倒的構成力】アメイジング・グレイス 感想

 「エヴァも、パンドラも……人に災厄をもたらすのはいつも女性なのですね。なんて、ふふっ」-シスターリリィ

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 季節は冬、しかもクリスマスも直前ということで、今回はきゃべつソフトさんの『アメイジンググレイス』をプレイしてきました。雰囲気がとてもよく、優しい世界に癒された所で、早速ですが感想を残していきたいと思います。

 『アメイジンググレイス』はひと言で言えば、非常に丁寧な作りの作品でした。登場人物は皆何らかの役割を持っており物語に絡んでくるので、こいつはどんな過去を持っていて何を考えているんだろうと考えながら読み進めていくのはとても楽しかったです。また、日常のちょっとしたやり取りも伏線になっており、これらをラストの展開にしっかりつなげる技術は素晴らしかった。すべて読み終わった今再度読み直してみると、全然話の印象が違うのには驚かされます。というか本当に凄い、なんだこれ?ここまで緻密に作られてるのかこの作品と若干引くぐらい凄いです。

 設定面でもオーロラに囲まれた街の真相編は非常に納得いく内容でしたし、ある仕掛けの部分では想像もしていなかったので、思わずクリックする右手の動きが止まりましたね。そして今までのことを思い出して、主人公と一緒に『ない、ない、ない、ない!!』って叫んでました。これだけヒントがあったのになんで気づかなかったんだ自分・・・?と、ここまでギミックに綺麗はまったのは結構久しぶりで、泣けるとかそういう感情的でない、理性的な感動というんでしょうか、そういうのを得られたことが嬉しい。

 また、外界から遮断された街で過ごす住人の思考と外の世界からやってきた主人公の考えのすれ違いの描写がとても優れていて、この世界は一体どういう世界なんだと色々考えて読んでいて飽きなかったところも好評価です。自分の固定観念でついつい考えてしまうから、登場人物たちとの決定的な違いになかなか気づけないという。展開が読めそうで読めないのが凄いですよね、分かりやすいシナリオと先が読めない展開っていうのはなかなか両立しないと思うのですが、そこをうまく作り上げているのが『アメイジンググレイス』でした。考えれば考えるだけこの作品よくできてますね、本当。

 更に言えば心理描写も真に迫っており、引き込まれました。未知との出会いと興味、外界に憧れる気持ち、長い期間のやり直しの先でちゃぶ台を返された絶望感、自分と異なる存在への嫉妬と、どれも深く共感してしまいます。特にラストの告白は万感の思いが詰まっていて胸に響きました、あそこであの選択肢を決めてくるのはずる過ぎます。

 ただあまりにも丁寧が過ぎて、イマイチ話にのめりこめなかった部分もあります。また、まるで設定のためにキャラクターが動いているような感触を受けてしまったのはちょっとマイナスです。

 行動面では、例えば壁画の落書きを最終ルートまで確認しにいかなかったのは疑問ですよね、リリィ先生が明らかに不審な行動をしてるんだから少なくともリリィを追いかける回には確認にいくだろうと。主人公的には多くあるイベントのうちの一つだったという見方もできますが、下手に丁寧に描かれているだけにそういう所が気になってしまいました。ただやっぱり主人公は記憶を失った状態になっているのであって、しょうがないかなあというところでもありますが。

 心情面でもほとんどすべてをキャラクター達は語ってくれていており、親切でいいとも言えますが、私としてはもう少し想像できる余地を残してくれても良かったかなあと思ってしまいます。わがままかもしれません。作品が完結しすぎててこの場で書くことがないんですよ!!

 少しキャラの話をしましょう。今作はヒロインみな可愛く、特にサクヤちゃんは激かわでしたね。ピンク髪の女の子が個人的に好きだというのもありますが、先輩先輩と子犬のようになついてくるサクヤちゃんが可愛すぎました。CGも軒並み素晴らしく、特に最初の髪を下ろしてネグリジェ姿でぺたんと座るサクヤちゃんは可愛すぎるので必見です。好き。あとアフターストーリーのユネちゃんエロ可愛すぎですね。無垢少女が行為を知って少しずつエッチに変質していく様はとても股間に来ました(何を言っているんだお前は)。

 

 さて、ちょっと物語の核心をつくネタバレを含む感想・考察を書いていきます。

 

 メインヒロインはどっち?

 今作メインヒロインはユネとサクヤ、結局どっちだったんでしょうか?

 サクヤは兄ギドウのタイムリープを止めるため必死に1年を繰り返してやっとアポカリプスを成功させたのに、今度はユネによって再びループが起こってしまい、じゃあ二人の納得できる道を探そうとして、色々道を探ってやっと光明が見えたと思いきや、主人公にちゃぶ台を返されることになります。そんなサクヤの絶望たるや容易に想像できてしまいます。だからあの告白は真に迫ってるんですよね。

 初見では拉致監禁して記憶消し去っといて何言ってんだこいつ?と思ってしまいましたが、7年も同じ一年を繰り返しさせられて、そのことを自分以外誰も知らない状況で精神がすり減ってきていたことを考慮すれば、殺さなかっただけまだマシじゃないかと思ってしまいます。そして殺さなかった理由も可愛らしいですよね、先生と生徒じゃなく同じ学生としてシュウと1か月を過ごしたかったという。そんなこと言われたら全部許しちゃうよ私は。

 さて少し見方を変えていきます。想像になってしまいますが、シュウが記憶を失わない本来の世界線ではもしかしたらユネとシュウが付き合っていたのかもしれません。シュウは音楽の先生で、音楽の専攻がユネしかいないことや、誰も認めてくれなかった声楽をシュウだけが認めてくれたことなどから、ユネにとってはシュウはかけがえのない存在であったことは間違いないです。同い年ということもあり、そこから恋に発展したと思うのもおかしな話ではないんじゃないでしょうか?

 だから、タイムリープはアポカリプスが防がれたギドウだけによって起こされたものではなく、シュウがユネに取られてしまったことに納得ができないサクヤの暗い願いからも起こされたものであるとも考えられます。

「先輩と――結ばれたらいいな、って……ずっと、思ってました……!そんなの、先輩からしたら迷惑なのに……っ……!」

 アポカリプスの失敗だけが原因ならラスト同様キリエとコトハの策略にはまって、ギトウが呪いから解放される周回があってもおかしくないはずです。

 とすれば、サクヤが1月のシュウとの出会いで整合がとれなくなるリスクを背負ってまでユネに変装したのも納得ができる話です。本来シュウとユネはくっつく運命になっており、ユネに変装した方がシュウの警戒がとけると考えた、もしくはサクヤのままではうまくいかなかったのではないでしょうか?

 ここまで考えるとシュウが先生ではだめだったというサクヤの言葉も大きく変わってきます。シュウが先生になってしまうと必然的にユネとの距離が近くなってしまうので、どんなに頑張ってもサクヤが選ばれることはない、だから初めから平等に付き合える生徒である必要があったということです。事実生徒となったシュウは各ヒロインたちとくっつく可能性が発生しました。ただそれでもダメだった。サクヤを疑ってサクヤとずっと一緒にいたルートも最後にはシュウがやり直しを選んでしまう。これはユネとくっつくことへの強い運命力の働き(プレイヤーの意思の介在ともとれる)だとも取れます

「私たちのつかんだ未来で納得できなかったから――先輩はそこにいるんですよね?」

「嘘ですっ……!それなら、どうしてあの時に終わってくれなかったんですか―――っ!」

 こうなると、クリスマスの告白シーンを読むと大分印象が変わってきます。運命を変えるために私はここまでやってきた、一度はダメでしたけど、今度こそ選んでくださいシュウさん――と。そして神(プレイヤー)は再度選択肢を渡されるわけです。本来くっつくはずだったユネにとっては至極迷惑な話ですが、その気持ちの強さには心を打たれるものがあります。サクヤのやったことは褒められたものではありませんが、それだけ人を好きになれるということは、その純粋な想いは、それこそ「美しい」と感じてしまうのです。この町では美が何よりも優先される―――だからメインはサクヤともいえるでしょう。

 ただ、サクヤに良いところを大分持っていかれた感は否めませんが、あの美しいユネと言う少女のこともやっぱり私は忘れられないのです。どこまでもみんなのことを思って、自分を犠牲にしてでも動くことができる少女。自己犠牲なんて今どき流行んないですが、町をみんなを救いたいという純粋な気持ちはやはり美しい。サクヤに自分の運命をこれでもかと捻じ曲げられてもそれでも皆を受け入れる懐の深さ、そりゃ神様も黄金リンゴを贈呈しますよ。お前がやっぱりNO1だ。

 そう考えるとどちらがメインが議論は難しいですね。ただどちらも選べるというのが、ギャルゲーの懐の深さとここではまとめておきましょう。

 作中未回収伏線を想像する回

 今作は勘所ではしっかり伏線を回収していったものの、一部未回収の伏線がありましたので、それについて妄想していきます。

①なぜギドウは自分の作品を破壊したか?

 ギドウルートのラストでは、ギドウは自分の作品『嘆き』を破壊したのち姿を消してアポカリプスが起こるという結末でした。これについては特に作中触れられていませんでしたが、追い詰められたギドウの語りから予想することはできそうです。

 ギドウをシュウが追いかけた周では、1か月という短い期間ながら、チェスをしたり、食べ歩きデートをしたりと、ギドウはシュウにかなり情が湧いたことが推測されます。そこでギドウはふと思ってしまったんじゃないでしょうか、このままこの日々が続くのも悪くはないと。しかし、真面目な彼にとって新たな美、破壊の美学であるアポカリプスを起こすことは強迫観念としてあり、このままの精神状態では実行できなかった。だから、過去に彼が破壊の美学の観念を植え付けられたときのように、自分が丹精込めて作った作品を壊して、その美しさを再確認する必要があったのだと思います。

 なので割とあのルートはアポカリプスを止めるのにかなり近しいアプローチであったかと。

②アンナは結局何者?

 ラスト全てを知ったような口振りで電話をかけてくるアンナは、前世代アレイア学院の学生で、本編では作中一度だけ現れた禁断のお店の店主であると考えられます。作中で皆が知っており、キリエちゃんに宜しくと言っていたことと、声が同じことからその可能性は高そうです。あとEDから分かる通り恐らくリリィ先生とは親子の関係で、前世代アレイア学院を同じリンゴの力でアポカリプスから救ったと考えられます。

③ヌイ公園とは

 作中よく出てくるヌイ公園ですが、製作者はマキリということが述べられています。さて、これだけしっかり物語を作っているのだから、当然マキリにも何らかの役割が与えられてそうです。彼は既に亡くなっているということですから、消去法で考えると、アンナのリンゴの相方だったのではないかと私は推測しました。

 一応理由もあって、ヌイ公園はイースター島として有名なラパ・ヌイから引っ張っていると考えられ、そこにある”ロトの柱”と”約束のメシア”というのも象徴的です。イースターはキリストの復活を意味しますが、ここでは時空遡行を起こせるクリスマスツリーの再誕を意味していると私は読みました。また”ロトの柱”は次のような伝説から来たものですが、

「堕落した町ソドムを滅ぼすために二人の神の使いがやってきたが、アブラハムの甥のロトとその家族だけは滅亡を免れることとなった。ロトの家族が隣の町まで逃げるまでの間、硫黄の炎でソドムを焼き尽くすのを神は待ってくれるが、約束として『決して後ろを振り返ってはならない』と言われる。しかしロトの妻だけは神との約束を破り、自分の町を思わず振り返ってしまう。その瞬間、妻の姿は塩の柱に変えられてしまった。」*1

二人の神の使いが町を滅ぼす、決して後ろを振り返ってはならないなどから、アポカリプスの存在を示唆しているようにも読み取れます。

 また”約束のメシア”は必ずキリストは再誕するといった意味だと思いますが、これはリンゴを食べて時空遡行の力を得、アポカリプスから町を救う人間の誕生を示唆しているようにも見えます。

 これらのことから、マキリなる人物はリンゴについての知見を持っている既に亡くなっている人間となり、それにあたる人物はアンナのリンゴの相方(おそらく夫)であることが予想されます。

 (追記)真霧言葉の存在を見落としてました。言葉の血縁だと流石に上の説は無理がある?

まとめ

 『アメイジンググレイス』は、これメッチャ面白い!!っていう瞬間的な面白さはなかったものの、世界観が非常に興味深く、優れた構成の文章は小気味良く、終始安定していた優等生的な作品であったと思います。また読めば読めば新しい何かが見つかるするめ的な作品でもあるので、私もまた読み直します。オリジナルチェス駒ギドウの能力メギドの炎には笑いました、こんなん気づけないですよ。

 今回はこの辺で。皆さま良いクリスマスを!街にリア充がはびこってるからってアポカリプス起こすなよ!!

 

引用)

*1)https://www.ab-road.net/europe/israel/I15/guide/sightseeing/07242.html