マダツボミの観察日誌

ギャルゲーマーによる、ギャルゲーやラノベの感想、備忘録とか

さくらの雲*スカアレットの恋 感想【ネタバレ注意】

 『櫻の木の下には死体が埋まっている!』

 梶井基次郎『桜の木の下には』の冒頭の文章であり、この世は美しいだけでは存在しえない、美しさの裏には何かおどろおどろしいものが潜んでいるという示唆を含んだ一文であります。

 令和の時代、世界規模でみると新型コロナウィルスが流行っていたり、アメリカと中国がやりあっていたり、終わらない紛争があったりしますが、ここ日本においては平和な日々が続いていると言っていいのではないでしょうか。少なくともエロゲの記事を書こうと思えるぐらいは平和であることは間違いありません。

 櫻の木の下に死体が埋まっている。―――では、この平和な時代の裏には何が埋まっているのでしょうか?

 

 2020年9月、きゃべつソフトさんの新作『さくらの雲*スカアレットの恋』(以下『さくレット』)をプレイしてきましたので、今回はその感想記事になります。

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 実は前回記事を書いた『アメグレ』よりも前に今作をプレイしたのですが、暫く感想を書けずにいました。というのも、その当時の私はライターの冬茜トム氏を知らなかったので、『さくレット』には大変な衝撃を受けまして、言葉を選んでいるうちにズルズルと2ヶ月近くが経過してました。

 『アメグレ』でもそうでしたが、本作もうまく読み手の固定観念・常識を作り出していますね。また、それをぶち壊すシナリオ構成は脱帽もので、今回もきっちりハマりました。桜雲硬貨のCGでぶわっと鳥肌が立って、クリックの手が止まって、「マジか・・・」って思わず呟いたぐらいです。

 そして今作の凄いところは、物語としての勢いがあるんですよね。前作アメグレの破壊パートでは確かに驚きはしたものの、どこか「で?なんなの?」という気持ちがぬぐえませんでした。ですが、今回はそこからの司の魂の叫びがどこまでも胸を打つのです。

『――あなたになんか判らないッ!こんな――死の危険もない場所で悠々と暮らして――人の縁にも恵まれて過ごしているあなたにはッ!』

 そこまで淡々と話を進めていた司はどこか人間味のない、台本上の存在だっただけに、あの激情が際立ちました。本当にそこまでの日常が楽しくて、この時代の人たちはみんな優しかったから、滅茶苦茶共感できるのです。そしてそこからの所長の優しさですよ、もう本当に好きってなります。

 また、VS加藤の登場人物出てきてみんなでわちゃわちゃやる展開は純粋に楽しかったし、ラスト桜の木の下の『初歩だよ、司――お前を愛してる』で涙腺が壊れ始めて、手紙、そしてEDまでの流れで完全に号泣しました。あのEDは歴代ギャルゲーEDの中でもトップクラスに好きです。みんながみんな司のために頑張ってきたから、あの最後の風景が作り出されたということが容易に想像できてしまって本当にダメです、涙腺が崩壊します。

 全体的な構成の出来は『アメグレ』の方が上だと思いますが、物語としての面白さは間違いなく『さくレット』の方が良かったですね。物語の構成などの技巧的な面白さもいいですが、やっぱり私は単純な人間なので、読んでいて直感的に感情を揺れ動してくれるような作品が好きですね。

 

 少しキャラの話をさせてください。今作も梱枝りこ氏のキャラデザが素晴らしく、どのキャラもとても可愛かったですね。ただシナリオ補正もありますが、一番好きなのはやはり所長です。もう本当に可愛い。義を重んじ情に厚く、お金に目がないとか少し抜けたところもありますが、決める所はしっかり決めるという所が人間としても好きだし、見た目金髪サラサラロングのホームズ衣装が可愛すぎた。可愛い女の子は何着ても可愛いと言いますが、所長に関しては完全にマッチしていて凄い。あと立ち絵でチラリと見える黒タイツの太ももも好き。メッセージボックスを見てるとつい目がそちらに向かってしまいます。

 所長以外だとメリッサが好きでしたね。メリッサはシナリオ上も美味しい役割をもらっていますし(蓮ちゃんとはいったいなんだったのか)、列車の中でのなんとなくHしちゃうシーンは好きすぎました。

 

 閑話休題

 ここまでざっくり感想を語ってきたところで、冒頭に戻りましょう。今作では、最初と最後の二回、『桜の木の下』からの引用があります。特にラストの引用は印象的で、ラストにわざわざこれを入れてきたというからには、この物語の根底として、美しさの裏には何かおどろおどろしいものが潜んでいるという考え方――ここでは”桜の木の下理論”とでもしておきましょう――が流れていることが予想されます。

 この桜の木の下理論を元に『さくレット』を考えてみると、次のように考えられるのではないでしょうか。

 『さくレット』は多世界解釈を前提としていましたね。つまり、この平和な令和の時代の裏には、第三次世界大戦が起こっている世界(=枝)があり、そこではCB兵器が飛び交い、若者はまた復讐のため武器を取り、永遠とそのループから抜け出せない――そういう”可能性”があるから今のこの時代は美しいんだということが今作のテーマなのではないでしょうか。

 また、EDからもわかる通り、司が令和にたどり着くまでには多くの人間の頑張りがありました。このことから『桜の木の下』は、この世界はこれらの人々の血肉をすすって成立しているから美しいのだということを示唆しているのかもしれません。

 更に、この桜の木の下理論は、ギャルゲーという枠組みにも当てはまります。通常ギャルゲーは数人ヒロインがいて、特にシナリオを重視したゲームに関して言えば、一人メインヒロインがいて、他のヒロインのシナリオはメインヒロインのシナリオの補完となるケースが多く見られるでしょう。『さくレット』では言うまでもないことですが、所長の所長による所長のためのシナリオでした。つまり、所長の下には選ばれなかったヒロインたち(=死体)が埋まっているんですね。だから所長ルートは滅茶苦茶面白いし(=美しい)、逆に蓮ルートで蓮ちゃんにほぼ役割がなかったのも、この構造を明確にするためだったのかもしれません。あくまでも桜は所長で、他のヒロインたちはウスバカゲロウのようなものだと――とこれは考えすぎですね。

 

 さて、今生きているこの世界は奇跡的に成り立っているというのは、色々なところで耳にする話です。ただその奇跡を奇跡としてありのまま受け取るだけでは駄目だということを今作では言いたかったのかもしれません。私たちはその想像力を働かせて、起こりうる悲惨な可能性を考え、そしてここに至るまでに流してきた人々の血と肉を認識することで、私たちの心象は明確になるのです。

『今こそ俺は、あの桜の樹の下で酒宴をひらいている村人たちと同じ権利で、花見の酒が呑めそうな気がする。』

 

 

 『さくレット』は、前作同様周回するたびに新たな感想が生まれる稀有な作品でしたね。色々考える余地のあることに加え、純粋に楽しい物語は名作といって過言ではないでしょう。この令和の時代に、この作品をプレイできて本当に良かったと心から思える、そんな作品でした。